
平成23(2011)年9月29日
淺野 克彦 (練馬区)
*本文は口述筆記ではありませんので、表現その他に若干の変更があることがあります。 正確には議事録をご参照ください。 録画映像はこちら。
知事は、最近の著書「新・堕落論」の中で『「天は自ら助くる者をのみ助く」という人間社会の公理を、そろそろ我が身に当てはめてことを考える時期に来ているのではないか』と述べられております。これは、日本の国防に関することでしたが、私はこの国のすべてのことについて、同様に考える必要があると考えております。
そもそも、近代国家において福祉というものは成熟した国家の証ともいえると思います。自らに起因しないことで、つまり不運に見舞われた方々を制度によって救い、支えていくことは素晴らしいことだとも思います。ただ、それは国民が自らの努力でどうすることもできないことに対してであると考えます。もちろん、大多数の国民は誠実に自らの努力で生きておりますが、一方で、様々な制度を悪用するような方がいることは残念なことです。しかし、私がより問題に感じるのは、そのような制度を悪用する輩ではありません。真面目で誠実に暮らしてきながら、不運に見舞われ、福祉制度に助けられ、その制度なしでは生きられなくなってしまう、あるいは、利用しないまでも、安心を得るために何でもかんでも制度として用意させようとする、そのようなところに今の財政状況では、遠くなく破たんしてしまうのは、知事も常日頃からおっしゃっている通りです。
我が国の福祉政策は、そろそろ、助ける、救うというところから、自立させる、ということをより強く発信していかなければならないのではないでしょうか?
人は、基本的に怠け心があるものです。水が高きから低きに流れるがごとく、人の心も強い意志がなければ自然と楽な方に流れてしまいます。だからこそ、様々な制度で満足してもらうことより、自分の足で立って生きているという基本を重要視すべきだと考えます。
そこで、今後の福祉政策は自立を中心に据えて実施すべきだと考えますが、今後の社会保障制度の在り方について、知事の所見を伺います。
自立という観点で様々な、政策を見直していきますと、厳しいようですが生活保護もしっかりとみていかなくてはなりません。もちろん、この社会における最後のセーフティネットであり、国の制度でもありますから都で簡単にどうこうできることではないとは思います。しかし、人間は強い意志がなければ楽な方に流れていくものです。就職を探すとしても、一度生活保護を受けてしまえば、自分が100%満足する就職先を探し続けてしまう場合もあるでしょう。これは、保護を受けていることが悪いというような話ではなく、制度として、自立してもらうという観点が、弱いように思う、そういうことです。
ましてや、現在のような社会経済情勢の中ですと、失業を契機として生活保護を受給している人が増えております。就労可能な方には、できる限り早く、生活保護からの自立を促していくことが必要だと考えます。
都がどのように取り組んでいるのか伺います。
また、先にも申し上げた通り、生活保護は最後のセーフティネットです。だからこそ、生活支援という面が強くでてしまうのもわからなくはありません。であれば、生活保護を受ける前に、自立できるように手助けをする仕組み、生活支援より自立支援を強く意識したものが必要だと考えます。いわゆる、第二のセーフティネットが重要だと考えます。
都はこれまで、緊急対策とはいえ、そのような制度を全国に先んじて行っていたことは評価します。そのような取組もあり、国は求職者支援法をこの10月から施行し、時限ではなく恒久的な制度としてスタートします。とはいえ、この制度が十分なものとはいえません。特に、福祉とはいえ、自立を促す意識を持ち続けなくてはなりません。
この制度がスタートするに当たって、都は、生活保護に至る前の対策としてどのように取り組んでいるのか伺います。
子育ては、日本の将来を担う人材を育成するもっとも重要な取組です。特に、脳や身体、人格の基礎をかたちづくる幼少期は子どもにとっても、親にとっても大切な期間であります。しかし、その大切な時期のこどもたちを対象とする幼稚園、保育所の所管は、国においては文部科学省と厚生労働省にわかれています。都においても、教育庁、福祉保健局、生活文化局にわかれています。
このことについて、幼保一体化の議論も十数年前からあるが、遅々として進んでおりません。本来、幼稚園だろうが保育所だろうが通うのは、同年代の同様に大切な時期を過ごすこどもたちです。一体化の議論も、時に制度論に終始し、幼少期の環境、教育がどうあればこどもにとって、社会にとって、将来の日本にとって良いのかという、根本的な問いかけをしているようには見えません。
すぐに一体化すべきということを言うつもりはありませんが、少なくとも対象とされるこどもは一緒なのですから、情報の共有ははかるべきだと考えます。
そこで、子育て施策に関して、幼稚園、保育所を所管する局がわかれていたとしても、子育てに関する諸課題を共有し、積極的に情報交換をするなどの取組を都が先陣を切って進めるべきと考えますが所見を伺います。
また、保育所をはじめとする保育サービスは、保護者の社会生活や経済活動の多様化により、そのニーズが高まっていることは、保育所を増やしても待機児童が減少しないことからもわかります。したがって、これまで都が行ってきたように、様々な保育サービスの拡充を図ることは確かに重要であると思います。
一方で「子育ては親育て」とも言われるように、子育てを通して親心が育まれるという側面も忘れてはならないでしょう。特に、昨今のように核家族化が進み、大都市にある地域コミュニティの希薄化も進めば、大人が幼少期のこどもに触れ合う機会そのものすら、減ってきていると思われます。
これはつまり、現在の社会では、保護者の養育力、もっと簡単に言えば親心を育む社会的な環境が悪化しているともいえるのではないでしょうか。
そのような中で、保育サービスの拡充によって親が一人前の親に成長するチャンスを奪うことになってはならないと考えます。われわれ政治家も、保育サービスの拡充を声高に叫ぶあまり、子育て支援のみの視点に寄ってしまったのではないかと、自戒を込めて振り返るときにきているのではないでしょうか。
誤解のないように申し上げますが、保育サービスの拡充に反対するわけではありません。子育て支援という視点のみで、保育サービスの拡充が進めば保護者の養育の責務が希薄化することも懸念されます。拡充するとしても、「子育てが親育て」であるならば、保育サービスは子育ての支援であると同時に、親育ての支援でもなければならないと申し上げたいのです。
従いまして、保育所は保育サービスを提供していくだけでなく、そこを利用する保護者の養育力を向上させる役割も果たすべきと考えますが、都の見解を伺います。
この国の先を憂う方々の話を聞けば、教育をよりよくしていくことが必要であることは異口同音に聞くことができます。国を構成しているのは第一に国民であり、我々政治家や役所の方々、メディアに携わる方々も含めて、国民の資質維持と向上が日本の未来を明るくしていくことに異論はないでしょう。
それだけ教育というのは重要なものなのです。石原知事も著書の中で、近代史現代史を必修科目として教えることの必要性に触れ、歴史認識についてその時々の「選択の是非については、それを教えられる者たちの判断選択にまかせたらいい」と述べられております。歴史認識だけでなく、教育はある種の観念を押し付けるべきではありません。先入観や固定観念を持たせない教育が必要です。
また、教科書選定についても最近、様々な話題となっております。新しいものを認めない、中身をちゃんと確認もせずに思い込みによる批判をしている姿をみると、教育からは程遠い感覚を覚えてしまいます。
ただ、私は教科書や資料集なども重要だとは思いますが、教育にとって大切なのは教員だと思います。なぜなら、教科書にどのようなことが書いてあったか、覚えている人はそんなに多くないと思いますが、教師から教えられたことは今でも記憶に残っている人は少なくないと考えるからです。であるなら、教科書選定以上の関心が教員の指導方法、あるいは教員の指導の方向性に向いていてもいいのではないでしょうか。
これからの日本を支える人材を育てる場を担う教員には、価値判断や情報分析すら誰かに頼らなければ自信が持てないような人間ではなく、精神的に自立した大人になるための教育をしていただきたい。教科指導においても、教員は児童生徒に大きな影響を与えるのですから、従来の固定観念や先入観にとらわれない教育ができる教員の育成が必要であると考えますが、都の見解を伺います。
地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターは、地方独立法人移行後、二度目の業務実績評価報告を先に受けたところであります。その内容は、概ね着実な業務の進捗状況にあると報告されております。この施設は病院と研究所を統合し、研究成果を臨床において直ぐにフィードバックできるということも期待できます。また、独法化により運営面などでの自由度も上がったと思われます。この報告書では、年度計画の項目に関して、実施状況を評価したものでした。ただ、評価書には数値としてその成果が一目瞭然のものもあれば、そうでないものもあります。数値には表れない独法化によるメリットを、都としてどのように認識しているのか伺います。
先の東日本大震災は大津波などで甚大な被害を与えました。首都東京も、いつ直下型地震が来てもおかしくない状況であり、あの震災からたくさんのことを学び活かしていかなければなりません。もちろん都は、そういった姿勢で防災計画の見直しなどを行っております。私も被災地に派遣された医療関係者の話などを聞きました。災害発生当初は、まずは緊急対応に追われるのは仕方がありません。しかし、ある程度時間が過ぎますと、派遣された医師も引き上げなくてはなりません。そのとき、引き継ぎというか患者情報の伝達を行います。派遣された時から、自分の病院の書式で診療記録を取っていた医師団は、引き上げるときに新たに診療記録を作り直し、二度手間になったと聞きました。これは、だれが悪いという話ではなく、実際に起こってみなければわからないことです。カルテなどが統一書式でないことも初めて知ったことですから。
そこで、将来に備え、発災時、日本中どこの医師団が来られても同様の記録が残るような準備をしておくべきです。本来は、国、日本医師会などが主導して全国レベルで行うことではありますが、それを待つことなく、先ず都が検討する必要があると考えます。都の見解を伺います。
9月16日付の読売新聞に、光が丘にある4つの練馬区立小学校において、法で義務付けられている完了検査を受けていないことが報じられました。昨日の読売新聞紙上にも、別の小学校の増築工事においても完了検査済証が発行されていないことが報じられておりました。民間企業なら罰則もある義務であり、公的機関が怠ることは許されるものではありません。
この件につき、局に確認したところ、平成20年には把握していたとのことでした。
先の報道によれば、当の練馬区の担当者は当初、他の小学校についても調査、確認を行わないと応えています。現在は、調査をしている最中のようですが、発覚した時点ですべてを確認しておくべきだったと思います。
もちろん、実際の小学校は、当時の資料を調査し、安全上問題ないことは確認済みであるようですが、手続き上のこととであっても指導監督する立場でもあり、いまさらという感もぬぐえません。
ただ、私は、このようなミスをことさら取り上げて、責任追及するようなことが良いとも思いません。大切なのは、分析と検証であり、人は完璧ではありえないのですから、同様の事案が発生しないように、調査・確認を行って、将来につなげていくことだと考えます。
特に、ミスが起こりうる背景が、単なる人的なものなのか、制度上おこりやすいものなのかを分析することは、予防措置として最も必要なことの一つであります。
本来であれば、平成20年の時点で都内の自治体に対し、情報提供と確認を求めるべきであったと考えます。当初の把握から3年が経過しておりますが、都は、今回の完了検査未実施の発覚を契機に、同様のことが発生していないかどうかこれまでの取組も踏まえて調査、確認を行うべきだと考えますが、今後の見通しについて伺います。